2005年09月14日

聖職としての政治家

 

かつて私は教師を目指した時期がありました。母校での教育実習中、「生徒は教師の全てを教師として見ている」 と言う衝撃的な事実を前に、私はたじろいでしまった。その時つくづく「教師は聖職である」と納得すると同時に、 安直な気持ちでは決してなるべき職業ではないと思ったものです。

政治家を「聖職」と捉えることはありませんでした。しかし、真に能力がある人が携わったとき、あらゆることが反転― 悪循環が是正されるのです。それは「田中康夫」と言う人間の出現でした。従来の保身の政治家ではない。

不可能と諦め切っていた腐敗県政がともかく変わっていくのです。「あんなにいじめられて」と、 顔を背けたくなる場面ばかり見せ付けられて、助けるにも手段を持たない私たちはただ、ハラハラするばかりです。

『人は心変わりをする』、この定説が当てはまらないのです。首尾一貫して何かが貫かれている。一体何でしょう。

田中知事は言います、「言い切ることは誰にでもできる。しかし、『逃げない』ことは誰にでもできることではない」と。 この言葉を聴いたとき「知事は自前の哲学を持っている」と心打たれました。私はこの言葉を大書して部屋に掲げました。 くじけそうになれば見上げて奮い立ちます。力があります。

フランスの文学者アンドレイ・マルローは政治家になって教育の分野で活躍された。学生時代に読んだ『王道』その他、 魅力ある文学者だった。ロシアのソルジェニーツィンがもしも政治家になっていたらさぞや変わったことだろう。あれほどにロシアを愛し、 ロシア国民を愛した文学者はいなかった。

田中知事は当初著作物に関して批判された。批判する人に聞けば読んでもいないのに「風評」で批判していた。 私の評価はまったく異なり、「こういう小説を書ける人が政治家になる時代が来たのか」と感慨を新たにしたもの。そして今、「お任せ」 ではいけないと「積極的に関わること」を促している。

その優しさはどこから来るのだろう。時代の変わり目にみずから批判の矢面に立って私たちを導こうとする、 その強さはどこから来るのだろう。

新しい政治家、聖職として政治に携わる人の出現なのだと思う。この意義を私たちは真摯に受け入れて、県政・ 国政のみならず世界的な混迷を共に脱出する手段を講じなければなりません。アメリカ型の選挙形態が日本に馴染むとは思えません (ちょうどカルロス・ゴーンのリストラによる建て直しが妄想と化したように)。日本は本来アメリカほど幼くは無いと確信するからです。 自民でも民主でもない超党派の出現が加速するでしょう。無責任な無党派ではなく。

posted by さよちゃん at 12:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月13日

新党日本ただひとり―それでも田中康夫は吼え続けるだろう

  9月11日、 論議も尽くされない不可解な解散総選挙の結果が出た。無党派層がこぞって「小泉劇場」に酔いしれ、自民党に投票した。 政権交代の願ってもないチャンスを民主党は逃した。自民281、公明28(定数436)で与党が3分の2を確保し(因みに民主96、共産6、社民4、その他6)、事実上の白紙委任政権が誕生したことになる。マスコミはこぞって 「白紙委任ではない」とあわてるが、後の祭りである。あなた方も煽ったのだ。

今朝の新聞にインタビューに応じた「森善朗」の相変わらずの軽薄な文言が載っていた。

 「郵政、郵政って、 余計な事をしゃべらせなかった。みんな見事にひっかかった」と。

そう言えば貴方は 「不可解な動きをしていつの間にか総理大臣になった歴代稀な議員」でしたね。 貴方のような軽薄な人の下に53人もの議員(最大派閥)が参集していることが心配。  

これと言ったビジョンの無い人に下手にしゃべらせたらアウトだから。よく口が回るが、肝心なことに答えられない。 「見事にひっかかった」。 悲しいかなこれがこれから政権をゆだねなければならないトップの本音なのである。私自身、これほどに、 情報を持ち得ない人々がいることに愕然とした。熱狂的に群がる女性・若者たち。 韓国のヨン様ブームを彷彿とさせる場面が連日報道されるのを見て、平和ボケもここまできたかと呆然となる。

あの情報で満ち溢れているはずの東京で、民主は「菅さん」ただひとり。長野はと省みれば、民主:自民=42%:43%、 で何というバランス感覚か。それにしても実直・生真面目が祟って単純フレーズの自民に飲み込まれてしまった民主。 マスコミの誘導も大したものである。「自民党員は自民優勢に戦々恐々、無党派層は民主に動くのが通説・・・」。NHKはまるで自民のおかかえ報道機関と化す。早速、小泉曰く 「皆様の信任を得ましたので、全ての公約を―私の飼い主様ブッシュと協議しつつ―可決すべく・・・」と言ったかどうか。ともかく、 結果は白紙委任である。もはや歯止めはかからない。

長野改革の結果(いえ、まだ途上にあるのですが)、全国的に見た比率が3:2ではなく、5:5とバランスを保てたことは、 田中知事による「考える県民」に前進した効果の現われと見るのは早計だろうか。いつだって、先行くものは罵倒される―実証済みのことなのに。

 知事はそれでも吼える 「地方から国を変える」と。たった4年で、170兆円もの国債を乱発、いったいどのくらい郵政公社に背負わせたのか―薮入りをもくろむ。 赤ちゃんからお年寄りまで600万円に及ぶ借金を背負わせる。そんな国が「先進国」だって、常任理事国入りしたいだって、笑っちゃいます。 何もかも背負わせて破綻させる方法は、どこかの宗教団体がやる手と似ていなくも無い、そう世界中に金をばら撒き「名誉なんとか」― どのくらいの家庭が破綻に追い込まれたことか。私の知人も破綻そして自殺・・・。

世界一の借金大国、それでも「出口を押さえることなく収入を立場の弱い国民から取ろうとする」。 主婦でも当たり前にやっていること「収入に見合った支出」、 こんな当たり前のことができない小泉政権の馬脚を現すのにそう時間は掛からない。次なる準備を!

posted by さよちゃん at 12:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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