2007年03月07日

県短元教授・今井甲子男先生を訪ねる

奥様を亡くされ、咋年特別養護施設に入所された先生を訪ねた。昔の事は忘れないといいますが、すぐ「よくきたねぇ、君は須坂の・・・」とすぐ思い出してくれました。いやぁ良く分かったねぇぼくがここにいる事をと、とても喜んでくれました。たった2年という短い学生生活であったが、思い出深い生活をさせていただいた。
父は「お前は東京にいってしまえばもどってこない」と入学金を納めたにもかかわらず、県短が受かると頑として許可しなかった。お嬢さん学校と揶揄された県短生としてスタートした私でしたが、相変わらずの探究心旺盛な性格は見事に居場所を見つけた。理数系が得意ということもあり、先生の研究室はもぐりこむのに最適であった。先輩の皆様もユニークな方々ばかりで落ち込んでいた心は「ばら色」に瞬く間に変わっていった。「イヤーそれにしても君は、研究室荒しだったねえ」と班長になってクラブ活動がより活発になったことを懐かしんでくれた。合宿といういままで経験のない行動も喜んで許可して下さった。   卒業時、学生部長だった先生は私が「教育書籍という出版社の編集部」に就職が決まると「君、コネでもあったのかね、あそこは文系の秀才しかとらないところだよ、家政学科からは我が校始まって以来だよ」と驚きあきれ返られた。「先生、私の親戚は皆農家ばかりです」というと目を丸くされた。そして、このたびの私の決意を聞いて再び「ほんとうかい!コネでもあったのかね」という言葉に、「同じ事を言うね」と笑い合いました。

卒業後、そして結婚後も私の研究心は旺盛で、独学で農業改革に取り組んできたことを度々報告しましたが、「薬草は今でもやっておるのか」としっかり思い出してくれました。 最後に「先生、これからは120歳ぐらいまで生きれる時代になるといいます。私、活躍しますから、楽しみに若返って見守ってください」と申しますと、「我が校始まって以来の活動家として、がんばれよ!ハラハラ・ドキドキじゃなぁ。」と最初の言葉をとってユーモアたっぷりに送り出してくれました。4年分の勉強を2年で済ますような、ハードな学生生活だったが、井の中の蛙状態だった私の最初の目が開かれた時代であった。
posted by さよちゃん at 05:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。