2005年11月14日

中江藤樹(中江兆民)=近江聖人のこと

 戦後教育の結果が人心の荒廃を招いた―

  『日本人諸君は異教徒にしてはもっとも懸命な国民にみえる。どのような教育を授けられてきたのか』と言う諸外国の質問に答えて曰く、 『私どもには、学校教育があった。それもなかなかのものだ。私どもは「十戒」のうち少なくとも八戒は母の膝にいる間に父の口から学んでいる。 力は正義ではないこと、天地は利己主義のうえに成り立っていないこと、

 泥棒はいかなるものでもよろしくないこと、 生命や財産は、結局のところ私どもにとり最終目的にはならないこと、その他多くのことを知った。学校もあり教師もいたが、 それは西洋にみられ、今日わが国でも模倣しているような学校教育とは、まったくちがったものである。まず第一に、 学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費が稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、 真の人間になるためだった。さらに私どもは、同時に多くの異なる科目を教えられることは無かった。 私どもの頭脳が二葉しかないことには代わりは無く、沢山はないのである。昔の教師は、 わずかな年月に全知識を詰め込んではならないと考えていたのである。真に賢明なことであった。

 第二に、 魂を持つ人間を牛や羊のようにクラスに分けて教えることもなかった。人間は分類してまとめることのできないもの、一人一人、顔と顔、 魂と魂とをあわせて扱わなければならないとした。それぞれの持つ肉体的、知的、霊的な特性に従って教えられた。 ロバと馬とが同じ引き具をつけられることはなく、ロバが叩きのめされて愚かになることも、馬が駆使される余り、 秀才の早死に終わる心配もなかった。現代にみられるような適者生存の原理にもとずく教育制度は、 寛大で人を愛する真の人間の養成には向いていない。先生とは先に生まれたのみならず、 心理を先に了解した人と言う意味で、先生と呼び、師と弟子の関係で、最もこまやかであった。キリスト教徒が「全て古いものを捨てて、 新しい物を受け入れよ」と言うことは納得できない。「古いものが悪いものではなく、新しい物が必ずしも全て良い物でも完全なものでもない。」 ※日本改悪に対する危機感を感じていた。

以上はユダヤに毒される前の内村鑑三の「日本の先生―中江兆民」を紹介する前文である。

 さて、 その近江聖人と今にも慕われている人となりを紹介。11歳のとき、将来の全生涯をきめる大志を立てたといわれる― 『天子から庶民にいたるまで、人の第一の目的とすべきは生活をただすことにある。』・・・聖人たらんとして成り得ないことがあろうか!と。

 そして、変わった教えが一つ― 弟子の徳と人格を非常に重んじ、学問と知識とを著しく軽んじた―「学者とは、徳によって与えられる名であって、学識によるのではない」と。 藤樹は無神論者ではありませんでしたが、人為による『法』と外在的な『道』とを明確に分け、わが国の神々に対して深い敬意を表していました。 そして、『願い事』のような性格に繋がるあらゆる宗教がきらいでした。近年、近江(滋賀県)の人々は、 あの大湖=琵琶湖の水を再生させました。やさしく慈愛に満ちた人々の中に聖人の教えが脈打っている。

posted by さよちゃん at 12:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月28日

疑問が解かれるとき ―田中康夫はつぶされない―

  過去にロックフェラーのビル買収をさせられ、まもなく二足三文で買い戻され、 内需拡大せよと無理やり1兆円もかけて千葉・ 東京湾にアクアラインなるものをかけさせられ、さまざまな命令に従い、売国奴小泉によっていま郵政民営化が決まり、 憲法もお好きなように変えられつつある。日本を、日本人を丸裸にするのも時間の問題。

戦後、日本国民は 「資源の無い国だから加工貿易で食っていかなければならない」と教育され、あなた方の工場と化した日本列島。気がつけば、唯物拝金主義・ 個人主義がはびこり農業のなり手も無く山も田畑も荒れ放題、あなた方の差し出す『遺伝子組み換え大豆、BSE汚染の牛肉をありがたく頂戴する国民」になり下がりました。

インドに行ったとき、 「インドはガンジーを支持していない」と言う衝撃的な事実を知りショックを受けた。イギリスは独立の代償に宗教分断 (イスラム教とヒンズー教)をガンジーに了解させた、つまり紛争の火種を植え付けた、かっこいい『無血開放』 などというがそのために永遠の苦しみを味わわねばならないと。元々インドはこの2大宗派は仲良く共存していたのだと言う。 ベルギーがルワンダを開放する(植民地支配をやめる)時もフツ族とツチ族の紛争の火種を置いて行った。 朝鮮戦争もベトナム戦争も勝つ戦いをあえて負け、対立の構図を作り上げた。 あなた方が裏で繋がっていることは良識ある人々はうすうす本能的に感じ取っている。冷戦時になぜ、米ソ協調して宇宙開発がされたのか。 今また中国の2人乗りロケットが宇宙に舞った。軍隊増強と宇宙産業がその国を疲弊させる。でもね、 地球がもたないのですそんなつまらぬ欲をかいていては。

21世紀は真の日本民族の歴史が公になる時代。石器・青銅器・ 鉄器などと区分される西洋の歴史には当てはめることの出来ない長大な歴史がこの日本にはあるのです。 江戸時代がもっともすぐれたリサイクルをすでに成し遂げていたことは内外において周知の通り。

 遥かさかのぼれば、 1万年とも2万年とも言われる母系国家縄文時代が脈打ってきました。日本の叡智なくしては、立ち行かないところに来ています。 日本人自らがその事を自覚しなければならない時代に突入したのです。そして、培われたDNAは失われることはありません。 アメリカが張りぼて国家である事を見抜きました。ハリケーンで自国民の救助を放棄してしまう国。大統領はだれの為にあるのでしょうか? 小泉は誰の為に? 政治学者も経済学者もそしてマスコミも、いったいだれの為に?売国行為をどんなに働いても、時代は『正直者』 に軍配をあげます。県民の皆さんそして日本国民の皆さん、正直者の政治家『田中康夫長野県知事・新党日本党首』 にしっかりついて行こうではありませんか!

今、 日本語ブームが巻き起こっています。『言霊』を持つ世界に類を見ない言語を大切に。

posted by さよちゃん at 12:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

聖職としての政治家

 

かつて私は教師を目指した時期がありました。母校での教育実習中、「生徒は教師の全てを教師として見ている」 と言う衝撃的な事実を前に、私はたじろいでしまった。その時つくづく「教師は聖職である」と納得すると同時に、 安直な気持ちでは決してなるべき職業ではないと思ったものです。

政治家を「聖職」と捉えることはありませんでした。しかし、真に能力がある人が携わったとき、あらゆることが反転― 悪循環が是正されるのです。それは「田中康夫」と言う人間の出現でした。従来の保身の政治家ではない。

不可能と諦め切っていた腐敗県政がともかく変わっていくのです。「あんなにいじめられて」と、 顔を背けたくなる場面ばかり見せ付けられて、助けるにも手段を持たない私たちはただ、ハラハラするばかりです。

『人は心変わりをする』、この定説が当てはまらないのです。首尾一貫して何かが貫かれている。一体何でしょう。

田中知事は言います、「言い切ることは誰にでもできる。しかし、『逃げない』ことは誰にでもできることではない」と。 この言葉を聴いたとき「知事は自前の哲学を持っている」と心打たれました。私はこの言葉を大書して部屋に掲げました。 くじけそうになれば見上げて奮い立ちます。力があります。

フランスの文学者アンドレイ・マルローは政治家になって教育の分野で活躍された。学生時代に読んだ『王道』その他、 魅力ある文学者だった。ロシアのソルジェニーツィンがもしも政治家になっていたらさぞや変わったことだろう。あれほどにロシアを愛し、 ロシア国民を愛した文学者はいなかった。

田中知事は当初著作物に関して批判された。批判する人に聞けば読んでもいないのに「風評」で批判していた。 私の評価はまったく異なり、「こういう小説を書ける人が政治家になる時代が来たのか」と感慨を新たにしたもの。そして今、「お任せ」 ではいけないと「積極的に関わること」を促している。

その優しさはどこから来るのだろう。時代の変わり目にみずから批判の矢面に立って私たちを導こうとする、 その強さはどこから来るのだろう。

新しい政治家、聖職として政治に携わる人の出現なのだと思う。この意義を私たちは真摯に受け入れて、県政・ 国政のみならず世界的な混迷を共に脱出する手段を講じなければなりません。アメリカ型の選挙形態が日本に馴染むとは思えません (ちょうどカルロス・ゴーンのリストラによる建て直しが妄想と化したように)。日本は本来アメリカほど幼くは無いと確信するからです。 自民でも民主でもない超党派の出現が加速するでしょう。無責任な無党派ではなく。

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2005年09月13日

新党日本ただひとり―それでも田中康夫は吼え続けるだろう

  9月11日、 論議も尽くされない不可解な解散総選挙の結果が出た。無党派層がこぞって「小泉劇場」に酔いしれ、自民党に投票した。 政権交代の願ってもないチャンスを民主党は逃した。自民281、公明28(定数436)で与党が3分の2を確保し(因みに民主96、共産6、社民4、その他6)、事実上の白紙委任政権が誕生したことになる。マスコミはこぞって 「白紙委任ではない」とあわてるが、後の祭りである。あなた方も煽ったのだ。

今朝の新聞にインタビューに応じた「森善朗」の相変わらずの軽薄な文言が載っていた。

 「郵政、郵政って、 余計な事をしゃべらせなかった。みんな見事にひっかかった」と。

そう言えば貴方は 「不可解な動きをしていつの間にか総理大臣になった歴代稀な議員」でしたね。 貴方のような軽薄な人の下に53人もの議員(最大派閥)が参集していることが心配。  

これと言ったビジョンの無い人に下手にしゃべらせたらアウトだから。よく口が回るが、肝心なことに答えられない。 「見事にひっかかった」。 悲しいかなこれがこれから政権をゆだねなければならないトップの本音なのである。私自身、これほどに、 情報を持ち得ない人々がいることに愕然とした。熱狂的に群がる女性・若者たち。 韓国のヨン様ブームを彷彿とさせる場面が連日報道されるのを見て、平和ボケもここまできたかと呆然となる。

あの情報で満ち溢れているはずの東京で、民主は「菅さん」ただひとり。長野はと省みれば、民主:自民=42%:43%、 で何というバランス感覚か。それにしても実直・生真面目が祟って単純フレーズの自民に飲み込まれてしまった民主。 マスコミの誘導も大したものである。「自民党員は自民優勢に戦々恐々、無党派層は民主に動くのが通説・・・」。NHKはまるで自民のおかかえ報道機関と化す。早速、小泉曰く 「皆様の信任を得ましたので、全ての公約を―私の飼い主様ブッシュと協議しつつ―可決すべく・・・」と言ったかどうか。ともかく、 結果は白紙委任である。もはや歯止めはかからない。

長野改革の結果(いえ、まだ途上にあるのですが)、全国的に見た比率が3:2ではなく、5:5とバランスを保てたことは、 田中知事による「考える県民」に前進した効果の現われと見るのは早計だろうか。いつだって、先行くものは罵倒される―実証済みのことなのに。

 知事はそれでも吼える 「地方から国を変える」と。たった4年で、170兆円もの国債を乱発、いったいどのくらい郵政公社に背負わせたのか―薮入りをもくろむ。 赤ちゃんからお年寄りまで600万円に及ぶ借金を背負わせる。そんな国が「先進国」だって、常任理事国入りしたいだって、笑っちゃいます。 何もかも背負わせて破綻させる方法は、どこかの宗教団体がやる手と似ていなくも無い、そう世界中に金をばら撒き「名誉なんとか」― どのくらいの家庭が破綻に追い込まれたことか。私の知人も破綻そして自殺・・・。

世界一の借金大国、それでも「出口を押さえることなく収入を立場の弱い国民から取ろうとする」。 主婦でも当たり前にやっていること「収入に見合った支出」、 こんな当たり前のことができない小泉政権の馬脚を現すのにそう時間は掛からない。次なる準備を!

posted by さよちゃん at 12:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

眠れる獅子=日本の目覚め

 サンケイ新聞に「日本よ」と言うタイトルで定期掲載をしている石原都知事が、今朝のコラムで 『この国は、そろそろ、力ある獅子として起き上がる歴史の季節にさしかかっている』と指摘していたが、その通りと思う。 60年前第二次大戦へと突き進む当時の日本に対してインドの詩聖タゴールは 「日本よ、日本の児らよ・・・」と、本来の使命とは裏腹の選択をしてしまった姿を嘆き悲しんだ。近年には、マレーシアのマハテール前首相が 「日本を中心にしたアジアの団結」を叫び、アメリカを排除しようとしたことで恨みを買い実現には至らなかった。 いずれも日本の潜在能力を見込んでの訴えであった。ちなみに、「アジア」とは『希望』を意味するという。 政治にしろ経済にしろどうしてこうも自己中心的で『ふぬけ』のようになってしまったのだろうか。『金』には力がある。しかし、 それも哲学あるものがもって初めて生きるのではなかろうか。

世界には「人」が「人」として最低限の生活を営むに十分な『金』が存在する。『金』 を何に還元するかで明暗が分かれることを身を持って体現している日本の、「発言力」に期待するばかりである。自民党という『金満党』 が瓦解をはじめた。世界が変わる小さな核がこの日本の中に育ちつつある。

日本の核=長野県の胎動

金満党の長野県議会の悪あがきも全国の注目を集めて久しい。 この度はさらに追い討ちをかけるように醜いゾンビと化して田中知事に襲い掛かろうとしている。ゾンビはゾンビを支持するものである。 県民の色分けもしやすくなった。マスコミはほとんどが金満党の手先とわかる。宗教狂い党も先が無い。願わくば、 共産党がまともになってくれたらと願う。民主党の元首相経験者の羽田氏はガンである。早く切除しないと病気が蔓延してしまう。 参議院の北沢某氏は金満党に鞍替えすべし。ご両人の出る幕はとっくに下りている。

さて、県民の皆様、いえいえ、全国の良識ある皆様。戦争も紛争も自由に名を借りた利権争いだと気づき、 党という組織の中で動く人々は党のために動くのだと、とことん学習しました。3バン(地盤もカンバンもかばん(金)) を持たなくても田中知事のように未来をしっかり見据えることができる人をしっかり支えていきましょう。 愚かな判断をしている時間はありません。あなた方の良心の声にしっかり耳をかたむけて。

 

posted by さよちゃん at 10:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月23日

時代がガラリと変わる瞬間

 東洋哲学に「陽極まって陰に転じ、陰極まって陽に転ずる」という言葉がある。物事がその限界に達したとき、正反対の現象が現れるということである。
 目にみえるもののみ信じるという唯物主義から、目にみえないものの働きに感謝する生き方は、われわれ日本人は特に食べ物文化で培ってきたような気がする。味噌・醤油・漬物・納豆など、いずれも「バクテリア」という目にみえない生き者達の恩恵に預かっている。世界中で有機農法(堆肥をつくる)がもてはやされる遥か以前からそれは行われてきた。特別「菌」を投入しなくても「切り返し」によって田畑に有効な菌が繁殖することを体験的に知っていたし、し尿のような液体はさらに「ため」という囲いで熟成させ撒いていた。当時は、川に汚物を流すなど思いもよらないことであった。「川」には川の神様が宿り、「山」にも「火」にも神様が宿ると敬意を払ってきた。いつからかこの尊い教えは廃れてしまった。その結果、山は好き放題に改造され、挙句放置一部はゴミ捨て場、川は言うに及ばず。
 元建設省の役人だったA氏は日本中に良かれと本人も使命感に燃え「公共下水道設備」の普及に邁進していった。ある時、自分はとんでもないものを広めてしまってきたことに気づき、愕然とし定年を待たずに早々に退官。「川に汚水を流さない」事業をおこし、現在に至っている。彼の口から「この下水道の法律を作ったのは長野県の国会議員」といわれたことに、当時少なからぬショックを受けた。
 今、私たちが出すゴミや汚物は化石燃料で燃やされ埋め立てへ,あるいは化学的な中和が施され川に放流されている。いずれも利権が2重3重に絡みつき恐ろしい様相を呈している。自分の目の前から汚物がなくなれば日々安閑と暮らせ、自分だけが儲かれば後は知ったことかと「高」をくくっていられる。個人主義ここに極めり。
 教育を変えなくてはいけないという。親の教育が必要だという。
「脱亜入欧」で、何でも欧米思考になってしまったのが原因
自然をコントロールしようとする考えの限界
自然の中に生きる「山間人=やまんと=大和人」の復活か
目にみえない,知ることのできないものに対する「謙虚な心」
解決方法はこれらのキーワードに含まれている様な気がする。
いままで常識として植えつけられていた知識が崩壊するときが来たようだ。
(その一例)  原子転換・・・果たして高温・高圧でなければ不可能か
 アメリカの科学者のケルブランという人が、植物でも動物でも、ある原子と原子で核融合を起こし、新たな原子を作る=常温核融合を実証してみせたが、ノーベル賞どころかいつの間にか抹殺されてしまった。十数年前か日本の某大学で実験結果を出したがこれもうやむやにされてしまった。医学も農学も栄養学も変われるのに。受け入れられるには百年かかるという。あらゆることが限界値に達している。
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2005年03月15日

今一番美しいもの、そして求められているもの

―男性の中に女性性を見るとき、女性の中に男性性を見るとき―
威張りたい、支配したい、勝ちたい、儲けたい(損得勘定)、権力が欲しい、認められたい。そして、縦社会を形成し上下関係を作りたがる。集中的で全体が見えず、未来予測ができない近視眼、目先のことにこだわり融通が利かない、相手の欠点をあげつらい優位に立ちたがる。(末期男社会)
反面、女性性を発現している男性は、全体が見えて臨機応変、横のつながりを大切にして分かち合う、決断が早い。
男性の中の女性性が求められているときです。あなた方の中にある思いやり、いたわる心、譲り合う優しさ・・・思い出して欲しい、あるんですから。
議会が相変わらず、時代遅れの茶番劇を演じている
枝葉のことにこれほどまでに取り組み続けた議会がかつてあっただろうか。
何でも[反対! 反対!]で、代案ひとつ示せない・・・良くする気があるの?
県民が一番望むことは、「誠実である」こと。
共感する心、寛容さ、そして忍耐力 = 改革に必要な資質。
今どんなことが求められているかまるで分からないよう―大いなる苛立ち!!
多くの良識ある県民は深く反省している、[議会を変えなければ]と。
時代の変革についていけないのであれば、潔く立ち去って欲しい。
時代はあなた方を拒絶している・・・そして私たちも。
「明白な現実という限られた地平の中でしか考えない批判者や皮肉屋では、世界の問題を解決できない。我々に必要なのは、かつてなかったことを夢見られる人間だ」―ジョン・F・ケネディ
長野県が健全になること=日本が健全になること
そして世界が健全になること
―決断することでしか変えられない―
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2005年02月14日

女 衆 の 会(おんなしょのかい)

―「おんなしょ」とは長野の方言です―
いままで政治や経済に無関心だった普通の女性に
日頃の茶のみ話に近頃の世相の話も取り上げてもらいたくて・・・
そういう私もつい最近までは貴方任せの一人でした。
70年ほど前はまだ「人々が思いやり深かった」といわれます。
いつからか、「自分さえ良ければ」が蔓延してきました。
いったい、いつから?
西洋文明がいいと「爆走」して来て、気がついたら地球規模的に問題噴出。
対策も後手後手で、天災・人災花盛り。
まだ続けるつもりかしら?
「しょうがない」では済まされないところまできています。
この社会の半分は女性です。あなた任せにしてきた「ツケ」が来たのです。
このまま知らぬ存ぜぬを通しますか?
気づいた男衆(おとこしょ=これも方言)が動き出しました。
でも、あまりに理解者がいなさ過ぎます。
男衆が男衆の足を引っ張っています。
今までと違う手法についていけません。
真っ当な方法なのに、「儲からない」「分け前が少ない」という理由でかしら?・・・
「儲かる」とは、誰かが「損をする」ことなんです。
これからは「あまり儲からない」ことをしなくてはなりません。
それはとても骨の折れることですが、自然との共生が可能です。
そして「皆が損をしない方法」です。
『山口村が危ない』とい危惧から立ち上がった会です。
身近なところから検証していきませんか。
周りの男衆(おとこしょ)の仕事や立場がどうであろうと
おかしいことはおかしいと声に出しませんか。
そして、まっとうな働きを命がけでやろうとする(正攻法で戦う)男衆の
手助けを遅まきながらやっていきませんか。
これからは女性ならではの視点で、女性の路線で考えて見ませんか。
意外な発見があるかもしれません。
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2005年01月18日

目覚めよ 大和撫子

 結婚し家庭を守り、子育てを終えた貴女、あるいは社会に出て第一線で働く貴女、あるいはよき社会のパートナーにならんと勉学にいそしむ貴女、いえいえ日本の国土に生を受けた全ての貴女、大和撫子の血を受け継ぐDNAをお持ちの貴女。目を覚ませ!
社会のパートナーとしてあまりに無神経に生きてきてはいなかっただろうか。
自分ひとりの生活に汲々として。家族の幸せのみを追い求めて。
そこに住む地域のことも、長野県人としての自覚もなく、日本人としての自覚もなく。流れるニュースを他人事のように見、聞きして来てはいなかっただろうか。世の中を一生懸命良くしようという人々に対して・・・。
神戸の地震災害から10年の歳月が流れた。辛く苦しい歳月だったことでしょう「同じ賑わいを再び」と町作りにがんばっている姿、胸打たれます。
新潟の地震災害、そしてスマトラ沖地震、当地の人々の心情いかばかりか。同じ平和な生活がもどるのだろうか・・・、長い苦しい戦いの始まり。
 地球レベルで異変が起きている、いつ当事者になってもおかしくない・・・。それにしても何か変、何千とも知れない人々を飲み込んだ海の、あの砂浜で翌日には日光浴を楽しむ欧州の人の姿を見たとき。小泉が嬉々として援助は「アメリカより多く」と申し出ている姿。沢山の衣服、おもちゃ、援助金。
 物が押し寄せるなかで、彼らの、被災した人たちの心の空洞は埋められない。
 経済とは何ぞや・・・。経済とは「人が困ったとき動く物、金」「人を困らせて動く物、金」。戦争特需、災害特需・・・。不幸なことに、それらが活躍すればするほど「心」が失われていく。
母親として、女性として、社会のパートナーとして、改めて世の中を見渡して愕然としている。「あなた任せ」に生きてきたことに。「価値観」がこんなにも歪んでしまっていることに。そんな男たちを育てた覚えはないのですがちょっと待って!! 私たちもしっかり勉強します。言うことに耳を傾けてください。まだ間に合うと思いますから。長野県のために、日本のために、世界のために、あなた方に「正攻法」で活躍してもらいたいから。
武士道の復活と言われて久しい。
では大和撫子の復活もあっていいではありませんか。
posted by さよちゃん at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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