2005年05月24日

客足戻らぬ「山口村」―馬籠

 「花博が終わったら」から、「万博が終わったら客が来るかもしれない」、という淡い予想がどうやら外れる公算が強くなった。出足が悪かった万博のスタート時の危惧が一転、早くも500万人来場突破というニュースで、さぞや「山口村」も大盛況かと思いきや、万博会場内で配布予定のチラシ一つ作れない状況という。平日は閑古鳥が鳴き、訪れる団体は金も落とさずに興味本位で立ち寄り、明らかに客層がガラリと変わったという。元賛成派の人々の顔つきは厳しく、冒頭の嘆きとも取れる楽観論を口にすると聞く。3倍もの借金を背負い込んだ計算になるこの越県合併劇。何かに「依存」する限り解決策はない。
 田中知事が叫び続けた「コモンズ―長野モデルの実現」、そしてパフォーマンスと揶揄された泰阜村の住民票移転問題。世界の先進国に、たった300〜600人の村を守る国があることをどれほど認識しているだろうか。そして知事を会議室に押し込めて、数時間にわたり議案提案を迫った某議長・副議長、両人後日山口村にどの面下げて頭を下げたのか。
 インターが来ると土地買占めに走った地元名士も、夢と消えそうな状況に「10億もらい損ねた」と。命がけで意識高揚を促そうとする人がいて、片や足払いをする人がいる。
 「中津川もいいもの持っているのに、なんで私らのとこなんかほしかったんだろねぇ」と、合併をしてはじめて知る相手の実情。隣の芝生。人々の本心はどこまでも「信州人」。てこずり始めた岐阜県と、中津川市。「戻るなら田中知事のうちに」が隠れた合言葉。

魅せられたヒトツバタゴ
 連休を外して、対馬に渡った(5月6日)。どうしても今見なければ、そして本場の状況を把握しなければほかの人に伝えられないという思いが募った。鰐浦―唯一ヒトツバタゴが群生している地域。岩肌にへばりつくように枝を張り、まさに雪のように真っ白な花を咲かせていました。ほのかに香る匂いも芳しく、私はすっかりとりこになりました。
 「山口村」はどうなのか、咲く時期が待ち遠しく思われました。5月23日蛭川の巨木が満開という情報で駆けつけた。対馬では見られなかった、それはそれは大きな木。見事に枝を張り、一番の見所であった。潮風や強風にあおられることもなく、肥沃な土壌に助けられ健やかに育ったヒトツバタゴ。決して華やかではありませんが、見るものすべてを魅了する不思議な力が宿っているようです。心を癒してくれるこんな木にめぐり合えたことをただ感謝するのみ。「山口村」のヒトツバタゴは、もうすぐ満開です。みなさんが来るのを待っています。見てあげてください。私たちの架け橋になってくれるでしょう。
私たちの手で「山口村」を救いましょう。
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2005年04月14日

開けてびっくり、平成の大合併 ―山口村篇―

2月13日、中津川市に越県合併された山口村
(1)予想を遥かに超え、新中津川市の借金は何と、20倍!
54億だった中津川市の借金が、1市7町村合併後、何と1090億に膨れ上がった。7町村平均148億もの借金を背負い込んだ計算になる。「面倒を見てもらえる」という思惑は、早くも崩壊。さらに、430億の特例債について前中津川市長・中川氏は、「200億は使う」といっていたが、現大山市長は「380億使う」と豪語したものの、この借金増に腰を抜かし『10億使う』にトーンダウン。使えば使うほど『借金』が増えるというカラクリにようやく気づいた。利権で誘致を楽しみにしていた「神坂インターチェンジ」も、地元負担27億は到底払えず、最初からの夢物語。財政再建団体(おや、どこかで聞いた言葉!)に落ちないために「放射性処分場」でも持ってきて国に借金肩代わりでもしてもらうしかない!?
(2)思いがけないリストラ勧告
10年かけて職員減らす(自然退職)といわれ、合併賛成の旗振りを一生懸命首長と一緒になって(不正も楽しみつつ)やってきた職員の多くは寝耳に水。「自分だけは蜘蛛の糸」宜しく救われると思っていたのに・・・(今頃気づくなんて)。7町村250人、残るは数名。これだけの借金の前に「特例法」の「身分の保証」も持ち出せず。楽しみです、内部告発。
(3)すべからく却下
初めての『市議会』での発言もことごとく却下、「こんなはずではなかった」と漏らす前首長、村民に促されて1週間もかけてようやく出された報告書は「市政報告」と。『議会報告』でしょ(そっか、議員1年生だった!)。てんこもりの[切られ予算]見え見え。
(4)分かっていない「観光協会」
合併賛成の観光協会が合併後に配布した名刺には何と、木曽馬籠。「木曽」の名称が使えなくなるという大変なことがまるで分かっていない。木曽ヒノキと名乗りたいばかりに住民票を移した林業家の想いが分からない。

―久しぶりに馬籠を訪れた―
日曜日の観光客の賑わいに内心ホッとしたが、久しぶりの客足だという。平日は店を閉めているという。お邪魔したお店では、このシーズン2〜3人のアルバイトを雇うというが、いま「私1人で間に合ってしまう」とこぼす。賛成派だった別のお店の女将さんは、「何にも買っていかない」と腹を立てていると聞く。客層が変わったのか?さてさて・・・?
[信州]の観光ルートから外され、改めて[信州ブランド]で生きてきたことに気づくという。木曽馬籠ではなく、信州の馬籠なんだと。またこうもおっしゃる「癖が直らない」と。「お金がなくてもやっていけるのに、お金がないとやっていけない」と言う思い癖。
これから本当の「自立」の道を問われている。
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2005年02月09日

山口村は永遠の心の財産 ―ゴミ捨て場は許さない!―

大切に出来なければ返して欲しい
合併しても自立を迫る。その挙句「無条件合併」だから文句言うなですか!
美味しいものに惑わされた純朴な村民を悪く言うつもりはありません。
「アメとムチ」でいうならば、ムチもはっきり示すべきでありませんか。
長野県民も知らなかった「岐阜のゴミが来るなんて」・・・
もし早くからしっかり説明がなされていたら
合併は成立しただろうか?
急に出てきた問題ではありえない。
大きなところで密約がなされているとしたら
政府の指導を疑う
ゴミ処分場誘致に失敗し続けた梶原前岐阜県知事を疑う
あなた方は長野県をいたぶるつもりですか
長野県に恨みでもあるのですか
政府のいうことを聞かない「独創的な知事」を頂く県ですが
気に食わないですか
おかげさまで着々と改革が進んでいますが
お国(小泉)のように170兆も借金を増やさず
どんどん、驚異的に日本一借財を減らしています
それが気に食わないのですか
岐阜県のようにゴミは好きではありません
1.同じ市内にインターチェンジ2つは「大きな無駄使い」で建設は有り得ない
2.椿街道を開設しなくても十分在来道路で間に合う 
こんなアメで惑わし
3.ゴミ捨て場の開設を公表してこなかった 
あなた方は言います「馬篭は、藤村はどこに行こうとおんなじだ」と
でも世間はもう「不誠実」にうんざりしています。
合併しても「自立」を改めて迫られ、何のための「合併」だったかと
興ざめしている多くの村民に代わって申し上げます
山口村を長野県に戻してください
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2005年02月08日

山口村の、それから

 長野県が山口村村民の民意を尊重して越県合併を容認する気運が高まっていた頃、ふと頭をよぎったことがある。県が山口村を「嫁」に出すとして、その受け手であるところの「婿」とは、一体どんな人物であるのか。報道では、全くといっていいほど、相手側である「中津川市」や「岐阜県」については触れられていない。
 ちなみに長野県は八つの県と境を接しているが、その県知事の名前をご存知だろうか。そう、私たちは地理は知っていても、隣県の政治には全く疎い。代わりに作家であったり全国ネットの番組に登場する田中知事や『脱ダム宣言』は、他県の知るところであろう。
 今回の合併問題で長野県内で取り沙汰されたのは、およそ次のような内容である。山口村の住民意向調査の多数決の結果。45年前に分村合併された神坂のしこり。馬籠や藤村といった観光資源(モノ)ではなくて村民の意思(人)を大事にせよといったこと、など。もともとの合併の理由は、このままだと財政再建団体に転落するから、というものだった。それに対し、今回のように市に吸収される形での合併は立場が弱くなり、自らの意思決定ができにくくなる危険を孕んでいるという危惧があった。これは個人に例えれば、「人権」を相手に委ねてしまうようなものである。
 では、岐阜県側の、この問題に対する捉え方はどうだったのだろう。残念なことに、一部の情報ではいまだに「国盗り」感覚なのだ。つまり、自分の国の利益になる相手方の土地を得ること。この場合、馬籠や藤村が大事で、住民のことなど眼中にない。
 更に、越県合併が国に申請されて間もないというのに、山口村に岐阜県の産廃処分場が来るのではないかという噂が現実味を帯びて来ている。長野県は山間地という地形が災いして、県外からの産廃が持込まれ易い。そのために監視の目は厳しく、水源を多く抱えることから処分場の認可はされにくい。ところがどうも、岐阜県はその辺がルーズなようなのである。既存の処分場は満杯らしく、新たに設けようとすると住民の反対運動が起こる。そこへ山口村である。
 この村の山間に「ふるさと椿街道」という、新設で建設がストップしたままの道路があり、そのすぐ脇に青野原という地籍がある。谷状の地形で、ここが今、産廃処分場が来るのではと囁かれている場所だ。仮にこの話が本当なら、実は合併を利用して産廃処分場を手に入れたかったのではないかという推測が成り立つ。つまり山口村の合併話は、産廃のダシに使われた可能性がある。長野県議会は山口村の民意を尊重して強行提案・採決し、村民を守ったつもりだろうが、ゴミ捨て場になどされてしまったら本末転倒である。岐阜県なら、民間の処分場には容易に認可も下りる(だろうから)。
 郷土愛など抱けぬ新参者の土地へなら、ゴミ捨て場を持っていっても構わないという考えは、岐阜県の恥さらしである。仮にも岐阜県は、「白川郷」という合掌造りの『世界遺産』を抱えている。片や、よそ者の土地に平気で産廃処分場を造らせるなら、それは未来永劫へと続く『負の遺産』となるに違いないだろう。(平成17年 2月8日 一市民からの投稿 )
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2005年02月02日

寄らば大蛇の影!? パート3

漁夫の利
―当事者同士が争っている間に第三者が労せずして利益を横取りすること―
(内部資料)
「山口村との合併は馬籠さえ来てくれりゃあ言うこたぁありゃせん。」
「ゆっちゃあ悪りいが北部7市町村との合併が主体で、山口村は付属のようなもんだ。」
「あの知事はなかなかのもんらしいが、県会議員が山口村の民意を大切にしろとかいって県民の意見調査費を削ったというからおもしれえ。」
「しかもよう、知事さんが議会に提案しなければ議会が提案してくれるというんだから願ったり叶ったりよ。まあ高みの見物だな。どえりゃあ観光地が転がり込んでくるわな。」
「東京のテレビ局も何社か取材に来てよー。県を越えて合併する村を迎える側の立場を聞かせてくれとか言っとりゃーした。『中津川市には凄い観光地が転がり込んできますねー。長野県は思い切りがいいですね』、とか言うもんで、その手にゃ乗りゃすかと思ってよー、観光地が欲しくて合併するわけではねー、村の皆様の意見だわ、と言っておいたわ。」

火のない所に煙は立たぬ
山口村に産廃処分場が来るという噂はほんとうですか?岐阜の処分場満杯と聞くけど・・・。それじゃあ「ふるさと椿街道」というのは産廃を運ぶ道ってこと?
「ふるさと」なんてネーミング、冗談でしょ。唱歌「ふるさと」の歌詞が泣くよ。
もし、そんな風になったら、議会の皆さんも知事も、加担したことになるんだからね。
それとも最初から知っていた?! 長野県の面汚しにだけは、ならないでくださいね。
(荒々菓子子―あらあらかしこ)

長野県の皆様
 この度は越権・・・じゃなかった、越県による山口村の合併に、多大なるご尽力を賜り、誠に有難うございます。私たちはこの日が来るのを手ぐすねを引いて・・・じゃなかった、山口村民の「民意」を尊重し、暖かく我が県にお迎えする所存でございます。
 皆々様がこれまで大切に守られて来ました水源を抱える山野を、これからは産廃処分場として有効活用・・・じゃなかった、歴史的遺産である馬籠や藤村記念館を守り、引き継ぐ決意でございます。 田中知事、県議会、並びに長野県民の、そのお人好しな・・・じゃなかった、その誠実な茶番劇を・・・じゃなかった、白熱議論を、私たちは高みの見物・・・じゃなかった、固唾を呑んで見守って参りました。 このような台本通りの、願ったり叶ったりの結果を・・・じゃなかった、手放しで喜んで・・・じゃなかった、まあとにかく、ありがとさん。                           (岐阜県より)

(P S 岐阜県民の名誉のために、これは一握りの政治家を指します。従って「岐阜県」としています
多分、この呟きの内容は、当たらずとも遠からじ―心情を一市民が代弁―)
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2004年12月30日

もう一つの突破口 ―日本の真ん中から世界を変えるという聖なるポジション―

 私が山口村の自立を考えた方法に「ヒトツバタゴ」と、「電力特区」の構想がありました。村のその人は、私の話にパニックなりながらも付いてきてくれました。この時かすかに手ごたえを感じましたが、どう展開していけば村の人全員が興味を示し、賛同してくれるのか考えあぐねていました。
初めて私がインドに行ってからあっという間に10余年が経ってしまいました。次に行くときは役に立つ「何か」をプレゼントしたくて。単なる旅行ではなく、ましてや、東南アジアのみならず途上国援助(ODA)の失敗を繰り返したくなかったのです。そのころロケット博士の異名を持つ故糸川秀夫氏と交流がありました。環境問題に取り組んでいた私は、「科学者が分野を越えて取り組むべきこと」を氏に進言していたのです。同時に氏がイスラエルで故山本氏(山本七平―山本書店店主・ペンネーム:イザヤベンダサン「日本人とユダヤ人」著者)と見たという発電法をなぜ日本に紹介しないのか、原子力発電の未熟さとアメリカ産業(原子力・石油・武器)の破壊力に対する警戒感などをぶちまけたのです。できれば一刻も早く国内のみならずインドにも紹介したかった。氏は口をつぐんだままでした。「慙愧の念」を持っていたことを、知人が届けてくれた本で今日ようやく知るに至る。 
 当時私は、学者先生とりわけ科学者を軽蔑していました。自然を人間の思うようにコントロールすることができるという傲慢さに辟易していたのです。当然氏に対してもどこか「タレント博士」のような軽さを感じていて氏の本を読もうなどとは考えも及ばず、そのころ既に「科学の限界」に気がついていたなどとは。私の辛らつな言葉に「丸子の音楽祭で会おう」と寂しくほほ笑み、長野の地で会うこともなくこの世を去られ、同じ頃山本氏も病を得て帰らぬ人となったのです。
なぜ、イスラエルがその「世界一安価で無燃料・無公害の発電」を大々的にアピールしなかったか、そしてイスラエルの「親」であるアメリカが乗らなかったか。それはイスラエルが地球を破壊へと導く「死の商人」であることを自覚させられた為であり、その公認はアメリカの自滅(=儲からない)を意味しているのです。さらに電力会社は押しなべて「ノー」を突きつけたのです、「我々が破産してしまう」と。その前に地球がだめになるというのに。
さて、時代が変わりました。京都議定書にロシアがサインし、本格的に地球環境保護に乗り出しました。先進国でただ一国、「世界最大のエントロピー後進国」アメリカを除いて。
村全体でこの発電法で生活している姿を、特に「先進国」の人々に見せたいですね。便利さの中に人間性まで忘れさせてくれた「文明の発達」の功罪を見つめ直すには、皆さんの―古きよき時代の日本の原風景―をそのまま残した村が理想的です。
日本の真ん中から世界を変える・人間の本質を問い直させる村、
これで行きませんか?!
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2004年12月23日

最後の総務委員会傍聴で見えたもの  ―7の上り竜と49の土竜(モグラ)に分かれた日―

―県政が蹂躙される姿は未来の山口村の姿―
 自らの正当性にあいずちを打たせて得々としている議員、感極まって声がうわずってしまう議員、参考人・・・。そんな茶番劇のなかに、ついつい本音がでてしまった。中津川市長言いましたね「広域観光」と。そう、あなたは元国土交通省生え抜きのお役人、あなたの上司の岐阜県知事も同省ご出身。やっと私も点と点が結びついた。広域観光・・・頼みもしない構想を押し付けないでください。
 21世紀は「農業と観光」、つまり「守る」・「保護する」ことを主眼に置いて取り組んでいこうという県に、隣りからまた開発ですか。山を崩し、谷を削り、延々と続く工事、こりもせず伸びる高速道路網「そんなに急いでどこへ行く?」・・・アクアマリンの無駄づかいを今度は山の中でおやりになりたいと? 時代錯誤も甚だしい。ご自分の県でどうぞ!
「まほろばの国・瑞穂の国」を知事と共に守ると決めたのです。勝手な構想を、押し付けないでください。手始めに「山口村」ですか・・・神坂パーキングの辺がにぎやかなのもうなずけますよ。誰が買占めに走っていたか調べるのが楽しくなります。あそこをジャンクションにする予定なんですか。権力にものを言わせて、村民を思うように操ってきたつもりでしょうが、今がどんな時かわかっていないようですね。悪いことが「猿=去る」年で、来年は、今まで真っ正直に生きて苦しんだ人が幸せを「鳥=取り」もどす年なんです。日本の文化「干支」は素敵なことを教えてくれます。
 山口村村長さん、あのまま木曽連合構想を育てていたら、それこそ名首長として県民の誉れともなったのに、あなたは何に屈したのですか? またまたこんなことも言いました「国から合併の話なんかこなければ、いままでどおりそのままやっていければいい」なに?、なに? あなたが破綻に追い込んでおいて「国」に責任転嫁ですか。中津川市長といっしょになって「早く、早く」と急き立てる。市長曰く「神坂を保存する会」「景観形成住民協定」・・・、人より物欲しいがみえみえ、村民を大事にするの一言もなし。村民不要の越県合併。
長野県中目を覚ませ!
 こんな2人に振り回されて、長野県議会も甘く見られたものです。議論らしい議論もせず、「羹に懲りて膾を吹く」式の混乱が起きない内に「早く早く」と、「溝が深まるから」なんて・・・そうじゃない「ぼろが出るから」なんです。相手の策略に引っかかり、さらに「もらい涙」・・・見ていてやっていられない。苦労の足りない「おぼっちゃま議員」をみているみたい。いつからこんな病気が議会に蔓延したのでしょう。村長さん、新年度(新学期)の予定を立ててないなら、早くやりなさい。職務怠慢急ぎなさい。
長野県はじっくり知事の元で、新しい時代にふさわしい山口村構想を練り直します。合併債が欲しくて急ぐわけではないなら、時間をください。色々調べたいこともあります。
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2004年12月14日

合併賛成に隠されたもう一つの真意

 今回の山口村の越県合併問題によって、南信であったり県境に接する地域であったり、小さな村であったり、が抱き続けてきた、これまで押し殺してきたさまざまな不平・不満がクローズアップされてきました。
長野県がそれだけ、山口村に対して思いやりを持って接して来なかったということの証しでもあります。同じ県民のことを考えて来なかった。
 今の時代、単に利便性という観点からだけでは、県境を越えてまでの合併というのは考えにくい。県境近く住まわれる方が隣県に働きに行ったり、買い物に出かけたりは当たり前のことでしょうし、それは誰にとっても、生活圏という意味では県境はあっても無いに等しいでしょう。だからといって普通、越県しての合併までは考えない。これは県に対する「不信感」の表れとして、真摯に受け止めるべき事柄です。
 ならば。果たしてこのまま、山口村の越県合併を容易に認められることが道なのでしょうか。仮に合併したとしても、残県しても、不信感はそのまま残るのです。たとえ県のレベル、国のレベル、個人のレベルであつても、誰かに恨まれたり不信感を抱かれたりするのは決して心地のいいものではないでしょう?!
 県にできるのは、長野県に残っていただいて、できるだけのことをするというのが道理ではないでしょうか。不信感をぬぐう努力をするということです。つまり、本当の信頼関係を築くチャンスはこれから。越県合併してしまえばそれも失われるのです。合併してしまえば現在賛成をしている方々は清々するかもしれません。嫌な長野県と縁が切れるわけですから。でも、境を接しているのです。生活が合併した日から変わるわけではない。
議員の皆さんは、長野県人としての誇りをお持ちですか。この地を、愛しておいでですか。勿論、そうですよね。だから議員に立候補され当選なさった。そんな長野県の同じ仲間が不信感を抱きこの県を去ろうとしている。それをまるでトカゲのシッポを切るように、簡単に「賛成」などとおっしゃらないで下さい。皆さんが逆の立場ならどうでしょう。同じ仲間じゃないかと言って、肩をたたいてあげるのが同郷の『友人』なのではないですか。
反対意見もまた、立派な民意なのではないでしょうか。皆さんと同じように長野県を愛し、この県に残りたいのが反対の方たちなのです。
そんな人を放っておけない、というのが知事の言われた意味だと思います。
 政治は本来、自由でなければなりません。どう考えるかは、その個人に委ねられていなければ。だから選挙では、公正さを期すために厳格な制度が設けられています。
 今春の山口村越県合併に関する村民意向調査は公人で中立であるはずの村が率先して合併推進の操作をした節があり、そうした背景の中で築かれた『民意』なのです。そんな『民意』を、県民は地元の人の意見を尊重すべきだと答えている。背景については知らされていないから。一見思いやりのある発言にも取れるけれど、これは見捨てるという意味で、偽善なのですよ。 新潟の地震のようには手を差し伸べてはいないのです。
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2004年12月05日

ヒトツバタゴは生きた化石

 ヒトツバタゴは世界的には、北アメリカ大陸の一部、中国の一部、朝鮮半島、台湾、そして日本では、長崎県対馬、岐阜の東野濃地方、長野の木曽地方(山口村)、愛知の一部にみられるだけである。地球の成り立ちや植物の分布を紐解く鍵にもなり、古い時代に広い範囲に分布し、今では一部の限られた地域にのみ残っている遺存種でもある。近畿地方で泥炭化された20万年前のものが発見された―当時日本列島は、大陸と地続きであった―。

ヒトツバタゴの呼び名
ヒトツバタゴは、ヒトツバ(一つ葉)とタゴ(田子=田んぼのはぜがけ用の木)に分けられる。タゴはトネリコ(複葉)の意味もあり、「一つ葉の複葉」ということ。文政8年(1825年)、水谷豊文―尾張の植物学者―の現した図鑑に「ヒトツバタゴ秦皮(トネリコ)一種 葉に枝ナク一葉ノモ」と著す。別名「なんじゃもんじゃ」と呼ばれている。江戸時代(現在の青山六道辻−神宮外苑―にあった)、その場所の名をつけられ「六道木」と呼ばれていたが、本当の名前がわからないことから「なんじゃもんじゃ」と呼ばれた。「雪の花」とも呼ばれるのは、学名のラテン語―キオナントスレトゥースツ=葉がややへこんだ形の、先が鋭く尖った雪のような花―から来ていて、英語名も、Snow−flower−Fringe tree。対馬では「ウミテラシ」、「ナタオラシ」などとも呼んでいる。
国指定天然記念物 鰐浦ひとつばたご自生地について―上対馬町教育委員会―
指定年月日 昭和3年1月18日 告示第10号
指 定 地 上対馬町大字鰐浦字在所陽99番第一の内150平方メートル
指 定 文 朝鮮ニ面スル対馬ノ一部ニ在リ既ニ指定ノ愛知・岐阜両県下ニ於ケルひとつばたご Chionanthus retusus Lindl at Part 自生地ト共ニ分布上ノ関係ヲ指示スル点ニ於テ学術上重要ナルモノナリ
説   明   ひとつばたごは、木犀科に属する落葉高木で、東アジアに分布する大陸系の珍しい植物です。
        日本では、木曽川流域と、鰐浦地区のみに自生することから、国の天然記念物に指定されました。
        毎年5月になると、この集落をはさんだ両斜面の雑木林の中に白い花が咲き乱れ、新緑の中で輝き、月夜になると、月光に照らされた鰐浦の静かな海に、かぐわしい香りを発する白い花が照り映え、この世ならぬ美しさで、土地の人は、この花を古くから「ウミテラシ」と呼んでいます。
        また、木質が極めて硬く「ナタオラシ」とも呼ばれています。
        この丘の「ひとつばたご」は、自生地の中で最も古くて大きく葉を覆うばかりに花をつけ、その風格は気品があり町の誇りとしています。
   昭和51年3月10日 鰐浦区内全山林に自生するひとつばたごを町の天然記念物に指定。
   昭和55年4月1日  町の花木に指定 
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2004年12月03日

ヒトツバタゴが山口村を救う可能性

 家事を済ませて、手伝ってくれる知人と出発したのは8時半を回っていた。飛ばそうにも路肩の掃除中、到着したのは11時近くになっていた。案内役をお願いしたお宅で思いがけなくお蕎麦をご馳走になり、昨夜11時過ぎに刷り上った3枚のチラシを手分けして折りたたむ。
 すでに到着して行動をともにしてくださる男性の機転には、いつも脱帽である。天の神様は障害というハンデーの代りに正義感と機智と行動力をお与えになったのです。もしもこの方にお会いしなかったら、今日のような行動ができただろうか。世直しとは、こういう事なんだと身をもって教えてくださる。遠吠えばかりでいつも悔しがっていた私だった。もう遠慮はしない、「もしも、私に何かあったら父ちゃん、素敵な人と結婚してくれ」そんな覚悟も少し。
ポストに入れたり直接手渡したり、どうしても合併賛成の人の話に、引き込まれる。
赤ちゃんを抱いた女性、前より大変になるとこぼす。しばし批判を言った後、間を置いて「どっちに転んでも悔恨が残るんですよ」と。じゃあこのまま対策を考えましょう。知事がストップかけなければ、長野県民は学習チャンスを失ってしまったこと。ここで起きている事は日本の縮小版、応援しますよと。
みんなの姿が見えない。上ったり下ったりフーフー。途中、立派なお屋敷をみる。五なんとか餅で財を成して、財力・権力ナンバーワンという。村長さんから事業家等大変な支持のされ方と聞く。ただ、どうしても納得できない。「馬籠と藤村と木曽路の名で生きて来れたのに、なぜ後ろ足で長野県に砂をかけるようなことをするのか」。それに村の中じゃかわいそう、中津川に引っ越せばすぐに名士で、代議士だって間違いないのにと、もったいなく思う。実力を発現する場所が違うと。
あたりの農村風景は、それはそれはすばらしい。これからやってくる雪との戦いを思えば天国のようなところだ。ほとんど留守の農家を回り、食堂を覗くと、チラシを受け取る前から、反対だったら要らないよといきなり言われ、とっさにヒトツバタゴのチラシだけを渡す。それだけでも読んで欲しいと祈るような気持ち。喧嘩をしに来たんじゃない、でも、他のチラシまで取り上げられたらどうしようと一瞬不安がよぎり、足早に立ち去る。
木曽川を望む高台にやってきた。川を隔てて中津川と山口村の平野部が見渡せる。平野部の子供は中津川に行って、山間部はそのままだって??分村??山間部の面倒どこがみる?発言権もなくなるというのに。あちらこちらに立派なたて看板。よく見ると合併賛成
の内容、訴える方向が違うような気がする。信州は、真州・神州で、新州、ここに癒しを求めてきているのでは?客は逃げるわな・・・
小さな川の橋の向こうに、作業しているおじいさんの姿。受け取ろうと差し出してくれた手が濡れている。後で読んでと置き場所を見つけているうちに、二言三言言葉を交わす。

そのうちにおじいさん、面白いことを言い出した。「何で今の若いもんは自殺ばかりしたがる?」と。すかさず答えた、「夢が描けないんだよね。第一おじいさんみたいな人と話しなくなったから、知恵が貰えないんだよね」。すると「わしも考えてみれば、若いもんと長らく話したことないなあ」。「おっちゃん、今度来た時はお茶出してね!」といって別れた。それにしても、こんなお年寄りにまで困った困ったと、財政再建団体転落を吹き込む人達が許せなかった。首長がどのくらい歳費を受け取っているか、言おうとする言葉をぐっと飲み込む。これ以上落胆させることがはばかれた。
隣の家までの小道、石段心地いい。高い壁を張り巡らす中国の人がこれを見たらなんと思うだろう。こんなお国柄を敵視しているアホらしさを、きっと思い知るに違いない、と余計なことを考えた。さっきのおじいさんに、ドイツのクラインガルデンみたいに、一人、二人のお泊り受け入れてよといったら、そんなことしたら、皆持っていかれるなんて心配してた。まだ無理か。ところどころ戸締めの家、もったいない。よそから嫁に来たという人、すべからく中津川に依存で合併に異存なし。学校がなくなるのですの言葉に、あまり関心がない。とりあってはいけない・・・
さらにヒトツバタゴとハナノキを見せてもらう。400万も掛けて移転された巨木のハナノキは切り刻まれて痛々しい姿、原初のそのままの姿がみたかった。休憩で立ち寄った喫茶店に思いがけないお客様が現れた。白菜をたくさんトラックに詰め込んで。45年前不条理な紛争に巻き込まれて、中津川市神坂の住人にされた人。旧友としばしの親交。聞けば恩師が私の地方に住んでおられるといわれ、同級会をしたばかりだという。手馴れた横書き文字に博学がにじみでる。今年は古代米に熱が入り、白菜を撒きそびれていたためためらわず、20個いただくも、お金を受け取ろうとしない。彼は全身で訴えかけていた。俺のような寂しい人間を作ってくれるなと。心の中でおもった。
面倒見れないなら、なぜ馬籠も藤村も入っていない神坂なんていらないと言わなかったのかと。補助金欲しいだけだとしたら余りに悲しい。今度はどうするんだろう。失敗をクリアできなければ、学習は永遠に続くのに。
私は逆に知事に提案したい。さびれた神坂を引き取りましょうと。
さあ帰ろうと、再開を約束して外に出て驚いた。インドで見た夕日が、対馬で見た夕日が(いずれも一人旅)、目の前でさん然と輝いているではありませんか。なんて山口村の人は、宝物をたくさん持っているのでしょう。誰も手をつけない原生林も。どうか、教えてください私たちに。それにしても今まで、余りに遠かった!
自分だけが儲かればいいや、という時代ではありません。ひっそり自然を守ってきた農家の人々とこれからは、しっかり手をつないでいってほしい。
さあ、やることがたくさんあります。
私たちを使ってください。
心から協力を惜しみません。
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2004年12月01日

山口村のヒトツバタゴが見たい!!

 私がヒトツバタゴを知った所は、今年8月に訪れた対馬です。一人車を走らせて細い道に迷い込み、振り返ったそのとき時に、待ってましたと目に飛び込んできた大きな樹。
たて看板には「・・・日本では、木曽川流域と、鰐浦地区のみに自生する・・・」とありました。目が点になるとはこのこと、さらに「・・・かぐわしい香りを発する白い花・・・この世ならぬ美しさで・・・」と、にわかには信じられない言葉が続きました。見たことも聞いたこともありません。「東アジアに分布する・・・」とも書いてあります。まだ見ぬ韓国は? 中国は? 長野とこんな樹で交流できたらいいなと思いました。
「5月に咲く・・・」とありました。桜より後に咲くらしい。早く時期が来ないかしら、木曽のどの辺りだろう。心がわくわくしてきました。
お盆が過ぎて、畑仕事が一段落したのは随分後になりました。資料を取り寄せたところ、なんと、「木曽山口村の馬籠地区」とあるではありませんか。なんという事でしょう。宝物が腐りかけていると思いました。
それまで、合併反対にとても自信がありませんでした。みんな長野が嫌いだといっているのにどうしたらいいのだろう。合併反対の署名用紙を配る足取りはとても、とても重いものでした。黙って時の流れに任せてしまえと思ったことも何度もありました。
でも「このまま黙っていていいのか!!」と良心が攻め立てます。そんなところに「山口村にヒトツバタゴあり」、私は救われる思いでした。しかし、尋ねる人すべからく知らないのです。別名のナンジャモンジャなら聞いたことがあるくらい。
いかがでしょう、皆さんの知っている素敵な花を、皆さんが主役となって私たちに教えてください。
高遠の桜は30年前は幼木が多く、こんにちの盛況を想像すらできませんでした。幼木を植えましょう。長野県中の人の手で。皆さん次第です。
皆、待っています。一緒に育てましょう。
傷ついた心、きっとヒトツバタゴが癒してくれます。
私たちも山口村で癒されたいんです。
そして、もう長野が嫌いだなんて言わせません。
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2004年11月29日

山口村の自立は長野県の自立

ー山口村の自立は長野県の自立ー そして日本の自立

 昭和33年から45年を経て、再び越県合併問題が持ち上がっている。ちょっと待ってほしい。何を考えているのでしょう。個人の尊重だの地域の尊重だのという前に、いったい今がどういう時なのか、考えてほしい。
 信州母船が今まさに、沈みかけているのです。新しい船頭(知事)が、大急ぎで修理をし、安全な方向に漕ぎ出そうとしているのに、力のある乗船客(議会)ときたら何に酔っ払ってしまったのか、手を貸して新しい漕ぎ方を学ぼうとも、同じ方向に漕ぎ出そうともせず、中には修理をはがして外へ飛び降りようとする始末の悪い人たち(山口村)も。一生懸命未来を見据えて船頭に協力しようとしているほかの人々の迷惑を顧みようともせず。
 さあ、いったい今がどういう時なのか。
知事が、スローガンに掲げた農業と観光で立ち直ろうと、一枚岩となって取り組まなければならないときです。自由だ権利だを主張するなら、まず、やることをやってからです。健全財政になって初めて、自由を叫んで下さい!!
議会の皆さん
 目を覚ましてください。酔っ払っている場合ではありません。山口村のわがままに手を貸してはなりません。乗客といっても責任ある成人に達していません。まだ、指導が必要です。
山口村の皆さん
 僭越ですが、どのくらい税金をつぎ込めば、満足されますか。財政再建団体に転落するから合併するといいますが。その年(平成19年度)のシュミレーションは、あきれ返ってものも言えません。220万県民の前に、どれだけでたらめな運営をしてきたか公にしなさい。県民をだますのはやめて!
県民の皆さん
 これからも、まだまだ合併のチャンスはあります。そのときまでに、しっかり山口村を育てておきましょう。それまで、あらゆる不満を聞いてやり、助けてやり、自立したら、安心して送り出してあげましょう。                   
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越県合併の問題のてんまつを知る

 今日11月29日、県会開催が3日後(12月2日)にせまり、合併反対の陳情もこれが最後ということもあり、知事室横の控えの間は、地元山口村からかけつけた人々と、他地域からかけつけた人で、いっぱいになっていた。地元で盛り上がっていないという話を耳にしていたので、内心とても心配であったが、杞憂に過ぎないことがわかった。それに集まった人々の顔の表情がとてもいいのです。私はうれしくなった。
 さらに、先日の松本での合併反対集会(11月21日)に発言してくれた岐阜の方の姿も―「合併しなければ、財政再建団体に転落するなどということに、長野県の皆さんは騙されてはいけない」と、集まっていた300人の人々が一瞬騒然となった発言内容―。
今日はさらにしっかりした資料にして知事に提出するのは、いうまでもないことだった。
 時間になって知事室に入り、伝えるべきことを伝え、それを受ける知事も、腹は決まっているように思えた。さらに、場所を変えて記者会見となった。偏見なく、「正しく」伝えてほしいと。自治法7条の解釈も間違って報道され、あるまじき不勉強さを厳しく糾弾した。
 その前後の、村人とのおしゃべりの中で、昭和33年当時の神坂分村・越県合併のことの発端が、なんと中津川のほうから話が持ち上がってきたのだということを知った。明らかに、観光資源がほしかっただけのこと。さらに当時、中学3年の大事な時期にその問題に巻き込まれ、石を投げられ、学校に何一つ取りに戻ることもできず、農家の納屋で勉強することを余儀なくされたという男性にお会いした。彼は今日、のぼり旗を持ってこの場に臨んでいることを、とても誇りとしているようであった。
 次に、議会事務局を訪れ、知事に提出した第1回収集署名6万余を提示し、「要望書」・「申入書」等を渡す。議長も副議長もなぜか不在。請願か陳情かと聞かれ、委員会を設けて審議などする性質のものではないと、こちら側がはっきり断る。事の本質がまるでわかっていない。議会が始まる中で、誤解の多い議員諸氏に説明していこうと皆で決めた。 
 圧倒的多数で合併賛成の多い議会である。民意、民意というけれど、たった393名賛成が多いだけで(不正の塊)決められてはかなわない。第一、山口村だけの問題ではないことの認識があまりにも無さ過ぎる。
悪い足を押さえながら、または杖を突きながら参加された方々の姿に、「皆さんのような、たった数パーセントの神々(少数派の意見)のおかげで山口村が救われ、長野県が救われるのです」と声をかけると、涙を浮かべて、「私たちは昔からここに住み、とても皆さんのお世話になってきています」とおっしゃられた。
さて、かつて中津川に併合された旧神坂地区はどうなったか。「若い者は村を去り、すっかりさびれて、子供もいない」という。こんな悲劇は、もうたくさん!!
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2004年11月28日

―山口村の自立は長野県の自立―そして日本の自立 山口村とヒトツバタゴ

山口村訪問
 10月24日、前夜の地震を尻目に私は、木曽の山口村をめざした。どうしても、ヒトツバタゴ(別名―なんじゃもんじゃ)※の自生の様子を知りたくて。
途中山口村の人々と話もしたいという思いもつのり、予定を変更して、先に毎年ヒトツバタゴのお祭りをしているといわれる岐阜の蛭川町を訪ねた。
想像していたよりはるかに見劣りする木が、1本、また1本、と点在しているのみであった。
しかし、尋ねる地元の人々は一様に、実際に咲く花のすばらしさを口にする。
一刻も早く山口村の現状を知りたくて車に飛び乗った。これほどに村人の心を魅了している花を山口村の人々はなぜ宣伝しなかったのか?
昭和63年に村の天然記念物に指定されたという。長野県はなぜ動かなかったのだろう?
県境から山口村に入ろうとしたとき妙なことに気づいた。「これより長野県」も「山口村」もはっきりした標識がない。「これより木曽路」のみ。反対側を見ると「これより岐阜県」と県境をはっきり明示。ずいぶん前に1度訪ねたきり。記憶がさだかでないことに戸惑う。
村のある職員に「あなたは、何回足を運んでくれたか?藤村?マイナーな存在ですよ。また来たいとおもいますか?」と矢継ぎ早に質問されたことが頭をよぎる。
最初に飛び込んだ民宿のご主人に自生場所を尋ねることに。なんと庭先に10年物のヒトツバタゴが育っていた。歩いて2〜3分のところに15本ほどの幼木の群生が見られた。それは、となり村の老人会からの寄付ということであった。県境となるすぐそばに立派な岐阜県の観光案内掲示板。長野県のは見当たらない。そこからさらに車で移動し、村の天然記念物に指定された高さ10メートルはあろうかとおもわれるヒトツバタゴにやっと出会う。
思ったよりスリムである。のどかな水田地帯が広がる周りの景観にもすっかり感激してしまった。そのころにはヒトツバタゴを見る目もこえて、道を隔ててのびのびと枝を広げているヒトツバタゴも見つけた。民宿をしていたらしい持ち主のお宅の呼び鈴を鳴らすと、中からかわいい(失礼)おばあさんが現れた。庭先のヒトツバタゴの歴史と、彼女の歴史(!?)そして、向かいの分家に植えられたヒトツバタゴについて楽しい会話がはずんだ。
「今年は諏訪からもこの花を見に来てくれた」と目を輝かせて話す姿に、人と人とが直接かかわりあうことの大切さ、すばらしさを知る思いであった。私は思わず「長野の人でこの花を見たことがない人がたくさんいるので、お国自慢にしていきましょう!」というとにわかに顔が曇り、拒否されてしまった。合併に関するしこりの根深さを見る。唯一の救いは、花を見に来てくれる人は、なんびとであろうと受け入れるという姿勢がみられたことであった。
もう一度引き返し、民宿のご主人のところを訪ねた。辺りにすっかり夕闇がせまりつつあったが、雑木林の中にもう1本、人がほとんど訪れることがない木があるということであった。そこからわずか、車をぎりぎりはいるところで止め、懐中電器をつけてためらうことなく分け入って行った。ふた抱えもあるような大木であった。岐阜県の天然記念物指定がされていた。私が今年8月対馬で偶然にも出会った大木とほぼ同じであった。とてもショックであった。私は言葉を失った。この木はじっと待っていたんだと。大陸と対馬と日本が太古の昔つながっていたことを、実感したときでもあった。何かを伝えなければという漠然とした思いがわく。馬籠も藤村も私の脳裏からはきれいさっぱり消えている。
村の人々が主役になり、かかわりが持てるもの・・・人々の心を魅了するヒトツバタゴ。新たな自立のための楽しいテーマが見えた気がした。自生が確認されているのは長野県で唯一山口村のみである。同時に南信の高遠町を思い起こす。当地で30年ほど前、同級会が開催された折り、サクラの名所と紹介され見学させてもらったことがあるが、まだ幼木も多く、近年、開花時期になると30万もの人が訪れる場所になるとはそのとき思ってもみませんでした。木は生き物です。年々変わり、世話を受ける人々の影響を受けます。粗末な扱いをされれば元気のない姿に、大切にされれば生き生きとしていきます。
 神坂の大きな駐車場に車を止め、一休みしようと入ったレストランで、村の人と話ができた。自分は土建屋に勤めているけれど、仕事がないから農地を借りて社長といっしょに野菜作りをはじめたと。田中知事が公共事業を持ってこないとぼやきつつもそれを楽しんでいるように見受けられた。「すばらしいじゃないですか!野菜の自給を高めるなんてこれからの仕事ですよ」と、思わず叫んでしまった。知事もそういう動きを待ち望んでいると。
私がここに来た理由と、山口村の自立のためのアイデアを話した。よそ者が熱く語るとっぴょうしもない内容にのけぞるように驚きながらも耳を傾けてくれた。身近で起きている合併によるマイナス面もしっかり話した。しかし、昭和33年の越県合併より問題が大きいこと、観光地うんぬんよりも日常の利便性に流れること。「これは、ひともんちゃくありそうだ」と、腹をくくったようだった。「山口村なんか長野県にすれば、隅っこの偏狭の地だよ」とも。私もすかさず「田中知事がストップをかけてくれたおかげで、山口村がどこにあり、過去にトラウマになるほどのしこりを抱え込んだということも知ることができた。私の友達の多くもそうですよ」と。
先の民宿のご主人曰く「わしら、田中知事を推したんだ。この閉塞感を何とかしてくれるかもしれないと思ってね。45年前のしこりがやっと癒えて長野県の中でやっていこうと思っていたところにまた合併の話だ。それに知事は2度も見に来て、この地形からもむりからぬことと言い残していったんだ。浮き足立つのも無理のないことなんだ。信じていたんだ」と、やるせない様子。「国は何を考えているのか、国政に失敗したからと尻拭いを地方にもってくるんだから」と言いつつも、私も知事を信じているからこそせつなくなってしまった。
そして、あのかわいいおばあちゃんの言ったこと。「うちのじいさまが免許の更新の時期が来て、運転やめたらといわれるがもったいないであと1回だけやっておきたいと、所管の部署へ問い合わせたらなんと塩尻までいかなくてはならず、勤めている若いもんはあてにならず、この年であそこまではしんどい」と、不便を盛んに口にしていた。
皆が納得できる方法を何とか見つけたいとしみじみと思った。なぜなら、心のどこかに「わからずやで、頑固な村民」というイメージを持っていたのだが、会う人ごとに取り払われていき、親しみに変わっていったからである。

ヒトツバタゴとの出会い
私がヒトツバタゴという大陸性の樹木に興味をもったのは、まるで何者かに誘導されるように訪ねた8月の対馬1人旅での出来事からである。松本空港から福岡、そして対馬へと飛行機を乗り継いで、最初に入ったレストランの従業員のアドバイスで、午後のひととき、町(厳原町)の資料館と隣り合わせの県立対馬歴史民俗資料館を見学した。
娘との愉快な2人旅のつもりが、間際で彼女の都合がつかず、何一つ予習せずにとびこんで、いきなり職員と1対1の勉強会となった。思いのほか観光客が少ないのは、前の週に韓国の人々500人ほどが訪れ、恒例の大きな祭り(対馬アリラン祭り)があった後だからだという。そこで2人の偉大な人物を知ることとなった。雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)=対馬藩・儒者・外交官―「誠信外交」(互いにだまさず、興奮して争わず、本当のことを述べ、相手の言い分を素直に聞くこと、国どうしのみならず人と人同士でも)―を貫き、江戸幕府の新井白石と一線を画す。陶山訥庵(すやまとつあん)=芳洲より10歳年上。綱吉の「生類憐みの伶」に反し、島内の8万頭ものイノシシを退治し、命を張って民を救った医者・農学者。今、ヨン様ブームで韓国旅行が盛況だが、その前に対馬を知ることではと思った次第である。
翌日、レンタカーを借りて島内の探検に出かけた。2時間ほどで島の突端にたどり着いた。細い道に迷い込み、Uターンしようとしたとき、何かが私を呼び止めた。見るとなにやら立て看板―「国指定天然記念物鰐浦ヒトツバタゴ自生地」。聞いたこともない名前に戸惑いつつ読む。文中 「日本では、木曽川流域と、鰐浦地区のみに自生する・・・」とあった。目が点になるとはこのことか。長野と対馬や韓国との接点を見出した思いに感激し、この看板を1字1句漏らすまいとカメラに収めても、目の前のあまりの巨木に見とれて撮ることを忘れてしまう有様。誰に聞いてもヒトツバタゴを語るまなざしは、見ている私さえも不思議な感慨に浸らせる。「この世のものと思えない」とも。
何より、早く花を見たいとおもった。木曽のどこだ?2日間、たくさんの学びを受けて、空路娘のいる徳島へ飛んだ。時まさに、有名な「阿波踊り」が始まろうとしていた。皆で盛り立てようと県外からも動員をかけられると聞く。見に来てもらう人に楽しんでもらおうとひと工夫もふた工夫もしていて、頭が下がった。大事に育てたお国自慢。お盆が過ぎて、仕事が一段落したのは、旅行から1ヶ月もたってからであった。(蛇足をたくさん書いているようだがつながるのでもう少しお付き合いいただきたい。)
発明家とコンタクト
 9月14日、木曽観光連盟から問い合わせに対して返事が来た。木曽地方でヒトツバタゴが咲いている地域として山口村の馬籠地区があるとのこと。なんということだ!宝物が腐りかけていると思った。ちょうどその日、合併賛成・反対両派が県庁に見えるという。すぐにファックスを送った。しかし、反応がない。地元の人が動かなければ、中からの動きがなければ、いったいどうアピールすればいいのか?思考停止・・・。
翌日、テレビで電力を使わない電化製品の紹介がされていた。以前から火力・水力・原子力以外の、さらにコストさえかからない発電法に興味のあった私は、ためらうことなく連絡を取った。電気を使わない冷蔵庫2台注文。そして、インドや中国にも伝えてほしいと。その国の改革は(特に産業)、その国だけの問題に留まらず、国際的な協働作業が必要(知人のインド人科学者のことば)な時代に入ったこと、たくさんのあやまちを改め、真のリーダーシップを取る時代にはいったと励ましのメッセージを送る。他に、クーラーや除湿機なども発明。翌月にはモンゴルでのプロジェクトが進行しているという。矢継ぎ早に話をすることがためらわれたので、帰国後をひたすら待つことにした。
(議会への提案見送りを発表した田中知事は、以来さまざまなところから集中砲火を浴びることになる。「羹に懲りて膾を吹く」式の単純批判・多数決で幕が下りることは明白。知事の判断は正しい。なのに、ただひとり、ご自分の決断の甘さに頭を下げて詫びる姿に、申し訳なく思った。
事の発端はどこか、45年前誠意ある対応を先人ははたしてしてきたのだろうか。双方、よくよく考えてみることだ。)帰国予定2日後、メールを送る。労をねぎらい、おもむろに故糸川博士から入手した発電法について協力を要請した。唐突な内容で研究分野がずれるということで辞退されたが、情報としては把握しておられることに望みをつなげることにした。                                                                
大嫌いな中国へ
 私は北京が嫌いだ=中国が嫌い。共産主義とは、労働者が平等に生きれる社会をめざしているのだと思っていたが、やっていることは??11月31日出発。中華料理の修行に励む息子の代理である。上海に降り立ち、できたばかりの巨大な空港(稼働率2割か)に驚いたが、その横に建設された索道は、なんとリニアモーターカーが走るのだという。日本はコスト高で確か凍結されていると聞くが。たかだか30KM7分、都心までには乗り換え必要、利用者なし、時々乗るのは日本の観光客(タクシーの何百倍か)のみ・・・、無駄使いはいずこも同じ。5つ星ホテル、豪華でもちょっとつらい。薄暗い大通り、コカコーラの大きなビンの照明がやけに目立つ。
翌日空路、済南へ。泉の都、水が飲める!毎朝裏どうりの市場へ、庶民の食べるお粥・麺・小籠包に感激。ただし、どこにも「味の素」。ここにも日本の過ち発見。某公司主催の夕食会に招待。長野に来てほしい、発達した文明ではなく、ほっとするような田舎の文化にふれてほしい。どこもかしこも古いものを壊している、そしてどこもおなじアパート群。どこをまねて、何を急ぐ? バスで移動中の車窓から延々と続く麦畑、そしてビニールハウス群、ここでもきっと日本の化学肥料と農薬が幅を利かせていることだろう。すばらしいお国自慢の漢方薬(代替農薬)があるというのに。あるホテルとレストランのオーナーに通訳を介して訴えたー対馬の芳洲翁のいう「誠心外交」をー。そして続けた、ここへ来るまで、あなたの国が大嫌いだったが、改めようと思うと。相手も驚き「民間外交を大切にしたい」と答えた。そして、日本のサクラが見たいとも。近代の文化大革命は人々のトラウマ、変化をじっと待っている。どんな教育を受けようと人としての本性は同じなんだ。サクラの木をプレゼントし、それが大切に育ててもらえる日が一刻も早く来る日を願う。その前に、刺激の少ないヒトツバタゴがいい。太古の昔、あなた方の国にもきっと繁茂していたであろうその木を。6日間の旅を終え、青島から空路成田着。時間の都合で、行きも帰りも東京泊を余儀なくされる。松本空港をハブ空港にと真剣に考えるときー福岡空港経由(乗り換えなし・給油のみ)ーが来たと思う。同じ経費・同じ時間、内陸唯一の空港のメリットは?

合併反対県民集会に参加
 11月21日、松本の集会に参加した。知人が主催するということもあり、またどんな理由をもって臨んできているのか知りたくて。
すでに始まっており会場はいっぱい(300人)であった。知り合いの新聞記者が私の姿に驚いていた。私はまったく異なるであろう意見を持っていることに少し納得してくれた。大筋、島崎藤村と馬籠宿は長野県の誇りであるから、ということであった。
終盤、参加者の質疑が許された。女性が気の利いた質問をしていた。そのなかで、財政がひっ迫していると聞くがどう努力してきたのか聞きたいというのがあった。私自身、対策尽きての結果だと思い込んでいたが、岐阜県側から見えた男性からとんでもない発言が飛び出した。「役場に問い合わせたら、平成19年には財政再建団体に落っこちてしまうというけれど、シュミレーションときたら17・18年がなくて歳費の節減ひとつなく、そのまま増額して計算してあって、びっくりしてしまった。長野県の皆さん、だまされちゃいけないよ。たった2000人の村で、うらやましいほど恵まれていてなにやってんだか。こんな村、おらたちも払い下げだよ」と。場内は騒然としたのはいうまでもない。
先ほど、場違いと思いつつアイデアを発表(ヒトツバタゴの花を知っていたのは、たった一人)したのを取り下げたくなってしまった。「220万県民を納得させよ」。そして、目を覚ませ!!と心の中で叫んでいた。知事の努力を見習えとも。

山口村のみなさまへ
長い間、馬籠と藤村を守り抜いてくれてありがとうございました。訪れた人々は、どんなにか癒されたことでしょう。今度は、あなた方が真に癒される番です。さて、戦後、農村出身の西沢知事は、政府の甘言を拒んで農業と自然を守りぬいたため、開発が遅れたといわれました。そのおかげでたくさんの貯金ができましたが、しかし、そのお金が魔物でした。お金さえ与えれば何とかなるだろうと、人と人との生身の交流がおなざりにされたまま、時を刻んでいきました。あの頃とは明らかに状況が違うのです。先代の行政の失敗により、今、信州母船が沈もうとしています。船頭(知事)が大急ぎで、修理をし、安全な方向を指し示しても、それに見合った新しい漕ぎ方を学ぼうとも、同じ方向に漕ぎ出そうともしないこぎ手(議会)に、多くの乗船客もうんざりしています。サイレントマジョリティを標榜していた私は、黙っていられなくなりました。田中知事は、農業と観光立県を打ち出しています。長野県のほとんどの人が知らないヒトツバタゴを、北限の地でひっそりと守り抜いてきてくれました。今、あなた方が主役となってこの木を世に知らしめてください。そして、あなた方の村には、人が一切手をつけない原生林が存在すると聞きます。そんなすばらしい宝物を2つも隠しておくなんて人が悪い。いえいえ、やっとそういう(生きた宝物にめぐり合える)時代に、それを受け入れる準備ができたんですよ。遅くはないでしょ?そしてさらに、村全体をエコロジカルビレッジとして、世界に発信させませんか。

岐阜県のみなさまへ
私たちも自信がありません。あなた方も同様だと思います。貴県県会で、過日、全会一致で「山口村越県合併を受け入れる」という承認がなされました。村民の日常生活の利便性を最優先に考えてのご判断と受け止めています。馬籠がほしい・藤村がほしいからだとも前述の岐阜の男性がおっしゃっていたけれど、そんなことないですよねえ?もしも、山口村の村民があなた方の一員になったとして、発言権がないからと、全会一致で都会のゴミ捨て場(産廃処理の再処理に100億円もかけるお国柄、どこへ捨てるか全国で注目)を作らないでください。活断層が走っている木曽川流域です。大地震の災害時(山間地のため)見捨てないでください。そして、もうひとつお願いがあります。記念に、県境に自生するヒトツバタゴをください。岐阜県中津川市落合1459の1に自生するヒトツバタゴを。雑木林の中に手入れもされず夕闇にたたずんでいたあの木は、私に語りかけた。ずっと待っていたんだよと。まさか、こんなことは言わないでしょうね、「あれは、世界遺産に等しい遺存種、それに他では見られない巨木で、県の貴重な財産だから手放せられない」なんて。あなた方は他人の誇りもご自分の誇りも、なんとも思わない心の広い県民性をお持ちのようですから。そして、もしも山口村が自立の道を歩むときは、贐としてくださいね。

再び、山口村のみなさまへ
私はあなた方とともに、ヒトツバタゴをめでたい。「長野県の山口村に自生」、この文が日本の、世界の説明文から姿を消すのは寂しい、せっかく出会ったというのに。県民総意の元でいっしょになってもっともっと育てましょう。高遠のように30年かけて。それを考えるとわくわくしてきます。いったいどれくらいの人々が集うのでしょう。そして、対馬の(50kmしか離れていない韓国と、120Kmも離れた本国)、甘言に惑わされることなく国を救ったように、自立を目指す長野県を、あなた方が自立を目指すことによって助けてほしい。財政破綻をきたすような指導をしたのはどこか、しっかり見極めてほしい。地方の破綻の次は、個人の破綻が控えていることを。いったい誰が喜ぶ?
日本があらゆる問題を生み出し、解決していくさまを見せることでしか世界に貢献できないことを肝に銘じる時です。
                  
                  
ヒトツバタゴ 
木犀科に属する落葉高木で、東アジアに分布する大陸系の珍しい植物。日本では、木曽川流域と、鰐浦地区のみに自生することから、国の天然記念物に指定された。毎年5月になると、雑木林の中に白い花が咲き乱れ、新緑の中で輝き、月夜になると、月光に照らされた静かな海に、かぐわしい香りを発する白い花が照り映え、この世ならぬ美しさで、古くから「ウミテラシ」と呼んでいる。また、木質が極めて硬く「ナタオラシ」とも呼ばれている。その風格は気品があり、町の誇りとしている。(上対馬町教育委員会案内抜粋)
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2004年10月24日

蓄積された不信感 ―ヒトツバタゴを調べに訪れた山口村で感じたこと―

 新潟地震の翌日、以前から気になっていたヒトツバタゴという植物のことを調べに、山口村を目指した。この樹は長野県でも、自生木としては越県合併に揺れるこの村にだけ存在している。
馬籠を訪れたのは何年前になるのか、戸惑いながらもたどり着く。道を尋ねた民宿のおじさんは、庭に植えられた十年物のヒトツバタゴを指しながら、「今さら長野と交流しても・・・」と、こちらの熱意とは裏腹になんだか後ろ向きの発言。「(45年前の合併問題の)ほとぼりが冷めて、長野県人としてやっていこうとしていた矢先に、また合併の話だ!」 やり場のない思いが伝わる。近くの林道の脇にはヒトツバタゴの幼木15本ほどが植えられていた。
 さらに昭和63年に村の天然記念物に指定されたというヒトツバタゴに出会う。のどかな田園風景をバックに庭にあるその樹は、10メートルはあろうか、伸び伸びと枝を広げていた。持ち主のおばあさんは「今年は諏訪からもこの花を見に来てくれて・・・」と、満面の笑みを浮かべて樹の歴史を話して下さる。ところが「長野の人のほとんどは知りません。お国自慢にしていきましょう」と誘うとにわかに顔が曇り、「 (越県合併)反対派なの?」といったきり、次なる会話を拒否されてしまった。今までのしこりの根深さを垣間見る思い。なぜこんなになってしまったのだろう? 後日この件で「なぜそのとき県の天然記念物にも指定してもらわなかったのか」と電話で無作為に問い合わせたところ、「そんな陳情受け付けると思うかね。鼻にもかけてくれないね」と返された答え。この村の人たちは、こんな風にずっとあきらめ続けてきた。この溝は埋められるのだろうか?
県境に接することわずか数メートルの、国および岐阜県の指定天然記念物になっているふた抱えもあるような大きなヒトツバタゴの樹。村人はこの樹に咲く美しい花を見ながら、何を思ってきたのか。胸が痛む。
すっかり日がくれ、飛び込んだレストラン。どっちなんだろう、合併賛成かもしれないと反射的に思う。「ここは長野県にとっちゃ辺境の地だよ」と、にこやかに近づいてきた村のおじさん。行き場のない怒りを通り過ぎて達観さえしている。知らなかった。もう手遅れなのか?今までの知事さん、県議会の皆さん、何をしてたのですか。こんなになっているのがわからなかったのですか。答えてください。「黙って送り出せ」なんて、とても言えない!
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