2006年11月07日

おら、宅地並みにしてくれるって言うから「はんこ」押したんだ

 

―早速やってくれた「陳謝」のウソ―

私はこの耳で聞いたんです。新幹線倉庫誘致での、県・国及びと地域住民との「おかしな取引」の事実を。つまり、赤沼・ 長沼と言う地名の通りいつも沼地のような状態を、乾燥した大地にしてくれると約束されたです。 水の漬いたその場に立ち止まってここに客土するなんていったいどれだけお金を掛けるんだろうかと考えてしまった。 農地として使っていきたい人々にすれば育てた耕土を大事にしたい、となると不向きな土砂をもってくるわけにはいかない。 客土とは普通の埋め立てとはわけが違う、結局そのままがいいことに。

 村井県政は早速、 県職員に「田中知事の『ウソ』発言を撤回します」と地権者に対し、陳謝させたのです。 この報道を誰も重大に考えていないことに疑問を持った私は、某議員に「なぜあの時直ちに抗議しなかったのか」と詰問、「そんな、 田中知事の言った事にいちいち取り組んでいられないほど、他の懸案で対処しなければならないことが山積です』と。 違う! これこそ、問題にすべき村井県政の『詭弁体質』なのです。詭弁とは、辞書には『こじつけ・ごまかしの議論』とあります。 新幹線倉庫誘致に当たり、明らかに住民を騙すテクニックが使われたのです。さらに「上流にダムを造ることで内水氾濫は解決する」と。  誰もが、『浅川ダム』と『内水氾濫』を一括りにしてしまっていたとき、亡くなってしまった小滝さんの「この内水氾濫は、 浅川の水は一滴も関与しないんです。私はこの場所で、喜んで農業を続ける」。あの言葉を公表したことで状況がガラリと変わったのです。 田中知事も『国はその事実を認めている』事を確認しました。それから、地権者は県が提案した遊水地構想に動き始めたのです。これも、 『高く売れればそれに越したことはない』という農民の思惑が私には見て取れたのです。売買契約に私はとても腹立たしく、 『県は一銭も金を出さないで下さい。わがままを言う農民を懲らしめましょう』と思わずファックスを入れてしまいました。 税金を払わなくて良い大地で耕作を続けてきたのに、タダでありがたい天の恵みをいただいてきているはずなのに。県の『借金地獄という実情』 がわかっているはずなのに。騙されたことをなぜ訴えなかった?。それとも『承知で』騙されたの?。

地権者の皆さん、目を覚ましてください。 それにしても、しつこく国はダムを作らなければ『代替案』を出せといい続けました。おかしいですね、ダムそのものが不要なのに。

お願いがあります。あの場所の作物を市民に県民に譲ってください。そして、耕作を手伝わせてください。 浅川はダム問題で有名になりました。お米も野菜もりんごもそれにちなんだ名前をつけて売りましょう。 あの場所をみんなで守っていくようなあったかい場所に育てていきませんか。あなた方の負担にさせ続けるわけには参りません。

前知事は「ウソはウソ」とはっきり言いました。『真っ当な人々が真っ当に生きれる世の中に』がモットーでもあります。 私達の多くがこの言葉に酔いしれました。子供達に親として残せる唯一の財産だと思うのです。いっしょに作っていきませんか。

 

posted by さよちゃん at 14:40| 浅川ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

世界に類を見ないダム建設構想 ―浅川流域見学会に参加して―

 

10月31日秋晴れ、浅川・千曲川等治水対策会議―過去の地すべり災害で被災された経験を持つ内山氏の案内―で計画された。 31日現地集合した総勢50人、県下各地から早朝にもかかわらず参集。 過去に収めた写真と現在の様子を照合しながらのわかりやすい検証だった。先日18日、突然前触れもなく決行された村井新知事のスピード視察 (たった2時間)では彼は何も知りえないと。私達は過去の崩落現場・流域尾根にまで足を運んで、 そこここに見られる異常な陥没地点に立って説明を受け、さらに凝灰岩の溶けるような現物を手にして軟弱基盤を実感、さらに活断層も! 以前に横坑を掘り『不適』という結果を出しているにもかかわらず、『適』という一文字が欲しくて右往左往した形跡が数箇所。

また流域のあちらこちらに現在進行形の崩落現場をみるにつけ、この沢がダムにより、水をたっぷり含んだ様を想像するとき、 地元の人々が「夜も眠れない」という恐怖を知ることが出来た。「砂場の砂」を想像して見てください。水を含んで、サラサラと溶け出す様を。 そして、この一級河川、普段は流量は僅かでも、常に崩落している活きものでもある。あっという間に土砂で埋まっていくでしょう。 浚渫など間に合いません。川床が高くなるとさらに危険が増します。また、崩落現場及び上部はかならずといっていいほど松・ スギが植えられているのです。治山の失敗がもたらした災害なのです。国はそんな基本的な治山対策よりも、 後先考えず闇雲にコンクリートでの応急処置を勧めます。田中元県政が推し進めた『木製ガードレール』による国からの 「利権の関与が遮断された純然たる補助金」によって「治山事業」 を活発に運用して行こうとしたことがいかに『先見性』にみちみちていたかがわかる。現在ではその国土交通省の推進も何者かの『横槍』 で声を失っていると聞くにつけ、上に立つものの哲学いかんで県民益・国民益から離れてしまうものであると痛感させられる。 真剣に取り組まなかった『長野県議会』の体たらくには怒りを覚える。

内山さんはこんなことも。「池も作ってはいけないといわれた。 造るには、県の許可が必要だと。そんな事を言われている地域に、さらに大きな池―ダム―をつくるとはどういうことなんだと。 地域全体がほぼ『地滑り防止地域』に指定されているにもかかわらず。そこで、お国に問い合わせれば、 そんな指定をされたところへのダム建設は皆無だった」と。それもウソの報告を受け、再調査の結果である。 ダム建設大好きの日本にないとは、世界にもないのである。圧巻は「ダム建設は、オリンピック道路を作った後に考えよう」だった! いったい、どこが必要性と緊急を要すると言うのだろうか。雑木林を復活させて治山を万全に整える方がまさに「緊急を要する」のである。 土建屋さん、あなた方はもうムダな気を使うのはおやめなさい。特定党派に貢いでも未来予測などしてはくれません。行きずまったのも 「目先の欲」に駆られた結果です。今必要なことは、「修復作業」なのです。 ダムというムダをするゆとりなどとうの昔になくなっていることに気づきなさい。

posted by さよちゃん at 14:39| 浅川ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月26日

未曾有の被害をもたらした台風23号 ダム建設にゆれる浅川実況見聞録

 台風通過の翌日(21日)、濁流渦巻く村山橋を渡り、以前より気になっていた浅川流域をめざした。
田中知事就任後に交わされたダム建設に関する議論は、推論によるところが多く、実際の状況を見るのでなければ、本当は何も言えない。
わたしは、その時を待った。今までにない雨量をもたらした台風一過(※)、浅川の様子を調べるには、ちょうどいい機会となった。
 いきなりぶつかったのは、上松5丁目の9階建てマンションのすぐ横を流れる浅川の護岸コンクリート落下現場。
中年女性2人がなにやら話しながら現場を行き来しています。
河川管理の不備を言っているのか、こんな危険な川のそばに建てられたビルへの不満なのか、1人は明らかに怒っていました。
土台がさらわれて建物が倒れなかったのがせめてもの幸いでした。
 ちょっとこわいループ橋下の川底は深く、泥を含んだ激しい流れ。
上松の浅川橋から少し下った所には、畑があり水かさが増して削られた跡があり、土のうで囲われていました。
土質は砂のように粘りのない土で、この辺りの特徴かと思われます。
 続いて下流に向かうことにしました。
稲田の「へいせいばし」のところは、流れが川幅の3分の1(午前10時頃)になっていて、川底が深ければ、こんなにも狭まるのかと感心。
 更に下って国道18号線へ。
立ち寄った南大道橋のコンビニからは所々水に浸かった田んぼやりんご畑が見えます。
千曲川は見渡す限り茶色く濁った水であふれ、河川敷のりんご畑をも呑みこんでしまいました。
国道はノロノロ運転です。反対側の出水口も水に浸かっています。川の様子を見に来た地元のおばあさんに聞くと、「こんな光景は、いままで見たことがない」と、自然の猛威に畏怖さえ感じているようでした。
足を運んだ三水村では、あちらこちらで崖崩れがあり行く手をさえぎられることに。
中には流木で流れがせき止められ、橋の上を濁流が流れ下ったところも。三水村の小高い地点から見える千曲川は、とてつもなく大きく見えました(今井地区も水に浸かる)。
 国道18号線、豊田村と豊野町の分岐点から、浅川の写真を撮りながら再び上流へ。
家が浸水しているところはなく、両岸ともしっかりしています。
 大道橋、五反田橋、浅川橋、おちあいばし、みこまばし、古里のちゅうおう橋、かぐら橋、かねこおおはし・・・。
 そこで、浅川ダムの賛否について尋ねることにしました。
ちょうど通りがかったジョギング姿のおじさんは、「必要」との答え。「私は(上流の)安全な所にいるけれど、下流の人は、しょっちゅう(いつも)水が浸いて大変だから、ダムでコントロールする必要がある」と。その言い方からは、どうも大雨になるたびに浅川が原因で下流域が水浸しになると思い込んでいるようでした。

 昭和57,58年の水害(※)から20年余りが経っています。先ほど見てきた三水村の被害を例に取り、県下、もっと手をかけなくてはならないところがたくさんあるのではと言うと、「それは天災で、浅川のはわかっていて起きる事だから」と。
実際の水量を目の当たりにしたら、本当にダムでコントロールできるのか、疑問に思う。
(今回は、ダムを必要とする降雨量に匹敵する量にもかかわらず、浅川は無事でした。もしも、ダムが決壊を恐れて大量に放流したとしたらそれこそ人為による圧力が浅川全体にかかることになります。新潟の五十嵐川の決壊は、ダムの放流が遠因とも言われています。)
 陽はいつの間にかすっかり傾き、下流域の赤沼地籍のJRの貨物倉庫まえ。辺りは冠水した田畑が広がる。
通りがかった農家のおじさんは、ダム建設賛成。「よその災害なんか、オラには関係ねえ」とも。
税金で湿田を乾田にせよということか、土地を高く売りたい故の妄言か。第一、この辺りの水は、単に低地に集まる水であって、浅川からのものではないというのに。
今、その災害の最中なのに、思い込みと、叩き込まれた価値観はかわらない。  
 最後に、農業に従事しているらしい青年の車を止めて意見を求めた。「ダムは反対です」の、答えが返ってきた。
その顔には自然を愛し、農業に誇りを持っている様子が見て取れた。住宅が水に浸かった箇所はないこと、小さな川が溢れた所はあるけれど問題にするほどではないことを重ねて教えてくれました。
 水田はお米を生産するだけでなく、美しい景観や、その保水力から自然のダムの役割を演じ、私たちの生活を守ってくれてきた。
浅川下流域に広がる水田地帯を、まさに緊急時の「遊水地」として、上流のダムではなく、下流のダムとして、流域にかかわる人々と農家が仲良く米作りを通して管理していけたらと思う。
 今回の台風で、大地が水を含むことの怖さを思い知らされました。これからは、益々自然を壊さないで復元していく生き方が求められます。
 最後に本物に出会えた思いがしました。

 人間捨てたもんじゃない。
 命を張って改革に取り組んでいる人がいて、
 目先の欲に取り付かれている人がいて、
 現場を知らず鵜呑みにする人がいる。 
 未来を見据えることのできる人に、
 そういう人を見分けることのできる人に、
 わたしはなりたい。 

(※)データ
 昭和57年(1982年9月12日)114.5ミリ
 昭和58年(1983年9月28日)112.0ミリ
 平成16年(2004年10月20日)124.5ミリ (長野気象庁調べ)
posted by さよちゃん at 20:31| 浅川ダム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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